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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)2540号 判決

控訴人 中村光子

被控訴人 石田良夫 (いずれも仮名)

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金十万円及びこれに対する昭和二十八年六月四日から支払ずみにいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟の総費用は、これを五分し、その四を控訴人、その他を被控訴人の負担とする。

被控訴人のための上訴附加期間を三十日と定める。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金二百万円及びこれに対する昭和二十八年六月四日から支払ずみにいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述ならびに証拠の関係は、控訴代理人において、当審証人山野花子、山野二郎の各証言及び当審における控訴本人尋問の結果を援用したほか、原判決事実の部分に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一、管轄違の主張について、

民事訴訟法第三百八十一条の規定によれば、控訴審においては、当事者は専属管轄を除くのほか第一審裁判所が管轄権を有しないことを主張することができないのであつて、本件が専属管轄に属しないことは自ら明かであるから、被控訴人の管轄違の主張は採用の余地がない。

二、本案の請求について、

(イ)、その方式及び趣旨により真正に成立した公文書と認むべき甲第一号証、原審証人山野花子、山野二郎、石田和夫、当審証人山野花子、山野二郎の各証言及び当審における控訴本人の陳述ならびに、右陳述により真正に成立したことを認めうる甲第二号証、同第三、四号証の各一、二同第五、六号証の各一ないし三、同第七号証の一、二同第八号証の一ないし五、同第九、十号証の各一、二同第十一号証の一ないし五、同第十二ないし同第二十二号証の各一、二原審証人山野花子、石田和夫の各証言によつて真正に成立したことを認めうる同第二十七号証の一ないし三、当審証人山野二郎の証言により真正に成立したことを認めうる同第二十八号証の一、二及び前記証人石田和夫の証言、控訴本人の陳述により被控訴人甥某の昭和二十二年十一月当時挙行せられた結婚式の写真であることを認めうる同第二十五号証の一、二を綜合すれば、次の事実を認めうる。すなわち控訴人は明治四十二年七月十三日出生の女子であるが、東京府立第七高等女学校卒業後大阪市に居住し大阪府庁に勤務していたところ、昭和十六年四月頃山野二郎の妻である控訴人の実姉山野花子を通じ、右二郎の友人である石田和夫から同人の実兄である米合衆国に居住の被控訴人と結婚されたい旨の申込があり、当時三十一才の控訴人は約二十年も年上の被控訴人と結婚する事を決意し、右和夫を通じ、控訴人の写真を送付したところ、被控訴人においても好感を抱き同年五月頃右和夫を通じ控訴人と結婚することを承諾する旨の返信があつた。そして婚姻は被控訴人が米合衆国から日本に帰国し、東京都内においてこれをなすべき予定であつたところ、太平洋戦争が始まつたため、その帰国は勿論のこと文通すら不可能となつた。しかし当事者の婚姻を実行しようとする意思には何のゆるぎもなかつた。その後右戦争が終了し、日米間の文通が可能となるや、控訴人の安否を気遣つていた被控訴人はいち早く昭和二十一年十二月七日頃前記和夫気付で控訴人宛の葉書を送付してきたのを初めとして、その後昭和二十三年二月頃まで相互間において情愛をこめた文通を重ね、被控訴人は食糧その他の物資不足等悪条件下のわが国に生活していた控訴人にいたく同情し、これを激励し、殊に当時被控訴人はその生活必ずしも裕かでないにもかかわらず(その後もその状態が改善せられた事実を認め難い)、たびたび食料品、衣料品、強壮剤その他の雑品を控訴人に送付し、他面近い将来帰国の上控訴人と結婚生活を営むための家屋購入資金にあてるため前記和夫に物資を送付することを怠らなかつたし、控訴人においても他から結婚の申込が数度あつたにもかかわらず、これを拒絶し、やがて被控訴人となさるべき楽しい結婚生活を待ちわびていたのであり、また被控訴人の甥某が昭和二十二年十一月東中野教会において婚姻の式を挙げた際にも、被控訴人の親戚において控訴人を被控訴人の代理としてその式に列席せしめるなど殆んど被控訴人の妻として待遇していたのである。以上認定の事実によれば、昭和十六年五月頃控訴人と被控訴人との間には婚姻の予約成立したこと明かである。婚姻の挙式及び同居はしなくても、いやしくも婚姻しようとする意思が確定的に表示せられた以上これを尊重すべきは当然であつて、挙式等がなされなくともその効力に影響なく、当事者双方は誠意を以てこれを履行すべき義務あること勿論である。

(ロ)、しかるに前記控訴本人の陳述により真正に成立したことを認めうる甲第二十三、二十四号証の各一、二ならびに前記原審証人石田和夫の証言及び右控訴本人の陳述を綜合すれば、昭和二十三年五月頃被控訴人は帰国が困難であることを理由として前記和夫を通じ本件婚姻予約の履行を拒絶してきた事実を認めうべく、控訴人が被控訴人の右不履行により精神上非常な苦痛を感じ、更に婚姻する希望と意思とを失つた事実は前記原審証人山野花子の証言及び控訴本人の陳述により明かである。

(ハ)、よつて被控訴人が右婚姻予約不履行の責を負うべきものであるか否かを審査するに、被控訴人が終戦直後の混乱している日本に帰つて職を求め、控訴人と結婚生活を営むことが困難であることは勿論、控訴人を米合衆国に呼寄せ彼地において共同生活をなすことが決して容易でないことも、前記認定の事実により窺いえられないことはないが、人生の行路は必ずしも常に平坦ではなく、たとえ一時婚姻予約を履行することの困難な事情があつても、その内にはこれを履行する好機が到来しないものでもないから、当事者双方は隠忍して担当期間これを待つことを要するのみならず進んでその隘路を打開するため、誠意を尽してその実現に努力すべきである。しかるに前記認定の事実によれば被控訴人は相当期間隠忍することをなさずして予約の履行拒絶の挙に出たこと明かであり、またその隘路を打開するため充分の努力をなした事実を認めるに足る証拠がないから、被控訴人はその婚姻予約不履行についてこれをなす正当の理由なく、その責を免れ難い。これによつて蒙つた前記控訴人の精神上の苦痛を慰藉するため相当の損害賠償をする義務があるものといわねばならぬ。

(ニ)、そしてその損害賠償の額については、当裁判所は本件婚姻予約が昭和十六年五月頃成立し、その後前記婚姻予約不履行まで相当の年月を経過し、控訴人においては、既に結婚適齢期を過ぎ良縁を期待し難い事実、本件婚姻予約については、未だ通常のそれと異なり同居生活が営まれなかつた事実、被控訴人の生活が裕かでないにもかかわらず、物資不足のわが国に居住していた控訴人に物資を送りつづけていた事実、本件婚姻予約の履行が必ずしも容易でない事実、被控訴人の生活が裕かでない事実(被控訴人が控訴人主張のような財産を有することについては、これを認むべき証拠がない)その他前記認定の各事情を綜合して被控訴人の控訴人に支払うべき慰藉料額は金十万円を相当と認める。被控訴人は控訴人に対し、右金額及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録に徴し明かである昭和二十八年六月四日から右支払ずみにいたるまで年五分の損害金を支払うべき義務があるものといわねばならぬ。

(ホ)、本件損害賠償の請求は債務不履行を原因とするものであるから、民法第七百二十四条を適用する余地がないこと明かであり同法所定の三年の時効に服すべきものではなく、十年の時効により消滅すべきものであるから、被控訴人の時効の抗弁はこの点において矢当であり、排斥を免れ難い。

三、結論

控訴人の本訴請求は、前記説明の限度においてのみ正当であつて、その余は失当として棄却すべきである。本件控訴は一部理由がある。よつて原判決を変更し、民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第百五十八条を適用し、主文のとおり判決した。

(裁判官 奥田嘉治 牧野威夫 青山義武)

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